ホテル アルファスター岩原がお届けする「老人会ガイド」越後湯沢周辺の観光送迎付1泊2食の旅行で楽しい仲間とストレス発散!
地元まで迎えに来てくれて周辺の観光地まで立ち寄りしてくれるサービスが最高!ホテル送迎といえばオンボロのマイクロバスが定番ですが、バス会社にチャーター依頼したら高額な料金となるので、ホテル送迎付きでしかも快適な観光バス!後部サロン席もあって仲間とワイワイしながら観光するなんて良いと思いませんか?
しかし気になるところが、緊急事態宣言が解除されたとはいえ集団行動のリスクだと思います。当館では以下の感染予防対策を講じて皆様のお越しをお待ちしております。

目の前がゲレンデの好立地 |


実際にご利用いただける観光バスの車内がご覧いただける動画となっております。
実際にご利用になられた団体様の写真を見ながら計画を立てましょう。ご紹介する写真はバス乗務員兼観光ガイド(添乗員)が撮影したもので、これらの写真はご宴会時にスクリーンにてスライドショーでお楽しみいただけます。お帰り時にはこれらの写真をDVDにしてお渡ししております。
●地元までお迎えに行き全員揃ったところで、乗務員がご挨拶とともに車内の記念撮影です。
●高速道路などの有料道路料金はご負担いただきますが、時間配分や観光ルートを考慮し一般道で行くこともあります。そこで気になるのがトイレ休憩や水分補給、持参忘れなどの買い出しなどご要望に応じて立ち寄ります。
●ご昼食会場の手配もOK!団体食など取り扱っているドライブインなど提携しているところや、ご要望に応じて手配いたします。(お食事代金はお客様負担)
●ご昼食は概ね1時間確保しておりますので、お食事後お土産コーナーなどでおくつろぎください。ホテルチェックインは15:00~17:00を予定しておりますので午後からは越後湯沢周辺の観光案内をいたします。
観光スポットINDEX
越後湯沢 | 瑞祥庵 | https://blue-jacket.net/archives/120 |
大源太湖 | https://blue-jacket.net/archives/148 | |
苗場ドラゴンドラ | https://blue-jacket.net/archives/481 | |
奥清津発電所 | https://blue-jacket.net/archives/470 | |
湯沢高原(アルプの里) | https://blue-jacket.net/archives/139 | |
毛渡沢橋梁 | https://blue-jacket.net/archives/409 | |
雪国館(川端康成) | ||
南魚沼地区 | 最上山 関興寺 | https://blue-jacket.net/archives/489 |
鈴木牧之通り(塩沢宿) | https://blue-jacket.net/archives/657 | |
雲洞庵(土ふんだか) | ||
八海山尊神社 | https://blue-jacket.net/archives/823 | |
八海醸造「魚沼の里」 | ||
日本三大渓谷「清津峡」 | https://blue-jacket.net/archives/764 | |
その他 | 刈谷田川ダム | https://blue-jacket.net/archives/780 |

1814年(文化11年)、江戸の雑司ヶ谷で生まれた。本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。二十歳代で幕府御用勤めになり、「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。江戸での製作記録は確認出来ていない。 越後三条にある法華宗陣門流総本山・本成寺の修築のため、檀家総代の金物商・内山又蔵の招きに応じて、三国峠を熊谷の源太郎と越え、越後に入った。当時から鑿(のみ)などの金物の町として知られた三条で婿養子に入り、酒井姓となった。一男一女をもうる。現在、雲蝶は本成寺本堂脇の墓所に眠る。
代表作は、“越後日光”と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)の天井を飾る「道元禅師猛虎調伏之図」。このほか越後国で、永林寺の欄間などの彫刻群や、秋葉神社奥の院(現長岡市)、瑞祥庵金剛力士像(湯沢町)など、多くの彫刻を各地に残した。後に三条に戻り、1883年(明治16年)70歳で死去した。法名は観具院真性日安信士。墓は三条市本成寺にある。弟子に北村久助、川村徳治という者がいたという。
石川雲蝶には「酒好き」「興が乗らなければ鑿を握らなかった」等様々な人物像が語られているが、写真や記録等のはっきりとした資料は無い。その彫刻の多くは色鮮やかで彫りが深く、何層にも彫り重ねられた精巧さと大胆な構図が特徴であり、それらの作品からは多識で真面目な人柄がうかがえる。(wikipedia抜粋)
もとは野尻ヶ池という戦国時代の陰謀・謀殺劇の舞台だったようで、湖の上下流は「大源太キャニオン」と呼ばれる断崖の渓谷になっているが、昭和14年(1939年)、湖の吐き出し口に「日本初」といわれるアーチ構造をもつ高さ18mの砂防堰堤が完成。登録有形文化財として認定されている。
歴史的に興味深いのは長野県にある「野尻湖」との関係。舟を浮かべて酒宴をしていた戦国武将が、野尻ヶ池で謎の死を遂げていることに関して、野尻湖の方にもゆかりの島などが見られる。ただ、野尻湖は当時、「信濃尻湖」と記述されていたので、本家「野尻ヶ池」は大源太湖の方ではないかと思う。


美しい渓流の上などをアップダウンを繰り返しながら進む苗場ドラゴンドラは、片道約5.5kmという日本最長の長さを誇り、およそ25分の長い時間にわたって紅葉を楽しむことができる。また、道中には、エメラルドグリーンに輝く神秘的な湖の「二居湖」や、14号柱と呼ばれる、まるで紅葉の世界に飛び込んでいくかのようなスリルを体感できるスポットもあり、迫力満点の空中散歩を満喫できる。
苗場ドラゴンドラ往復でも良いが田代ロープウェイで山頂まで行き少し下り道を歩くとドラゴンドラ山頂駅に着くので下りのみをドラゴンドラにするコースでも料金は同じです。
水力発電としては日本最大級の出力を誇る最新鋭の揚水式発電所。
奥清津発電所はカッサ、二居と2つの調整池をもち、その間の有効落差470mを利用して、2つの発電所により最大160万kWの発電を行なっています。
奥清津、奥清津第二発電所の両発電所でつくられた電気は、東京電力の新新潟幹線により東京方面へと送られていきます。奥清津発電所の運転は、発電所制御室にて直接行なっていましたが、平成5年4月より、埼玉県の川越にある東地域制御所から遠隔操作で行う方式に切り換えられました。


奥清津発電所は、日本最大級の水力発電所というだけではありません。Okkyという愛称を持つ電力のミュージアムでもあります。「見て、触って、感じて」をテーマに平成8年より発電所の一般公開を始めました。マルチメディアを駆使した展示ルーム、建設時代そのままの作業坑、水と緑あふれる二居ダムとのびのび広場、そしてOkky最大の目玉は、発電所内部に入っての実物体験。広大な組立室、巨大な発電機、回転する水車軸、最先端の配電盤室など電気を作る現場の迫力に圧倒されることでしょう。
発電所のしくみや館内のご案内を係りの方がしてくれます。


巨大な天井クレーンと発電機の最上部、そして主要変圧器を見ることができます。
このフロアは全域自由にご覧いただけます。


発電所本館脇の清津川沿いは水と緑のスペース。木々と芝生の中、思いっきりリラックスしてください。池と小川では魚が泳ぎ天然石で出来た遊具や水圧鉄管も置いてあります。のびのび広場で、新緑、紅葉と四季折々の清津川の瀬音をお楽しみください。

放流時に流れてくるダムの水路です。


さすがにエメラルドグリーンで美しいですね。周囲の雰囲気ととてもマッチしています。
長い道中お疲れさまでした。いよいよホテルチェックインです。


到着されましたら、まずは幹事様にて宿帳の記入をお願いいたします。その後お部屋の鍵をお渡しいたしますので、お部屋割りに従ってチェックインしてください。館内のご利用案内についてはバス車内にてアナウンスしております。お部屋に入られましたら、まずは旅の疲れを癒してご夕食宴会までごゆっくりとお過ごしください。
アメニティーについて
・バスタオル/フェイスタオル/歯ブラシ/ブラシ/ハンドタオル
・浴衣/丹前もございます。ご到着後サイズ合わせをしてください。
・天然温泉「いわっぱらの湯」大浴場へ行かれる前に、まずはお部屋にご用意しておりますお茶菓子でお茶をお召し上がりください。


客室のご案内






ミーティングやくつろぎの場として「まんが図書館」3Fがございます。昔懐かしい漫画もあります。こちらはお部屋にお持ちいただいても結構ですが必ず元の場所に返却いただきますようお願いいたします。

以下をクリックしていただきますと館内の様子やお部屋の中を360℃見る事ができます。

18:00頃からはご夕食ご宴会となります。2Fレストランにお越しください。


ご宴会料理の一例です。季節により内容食材は変更があります。

翌日朝食をお召し上がりいただいて早々に観光しながら地元に帰るも良し、ご昼食をホテルでお召し上がりいただいてからの出発でも構いません。ご都合に合わせてスケジュールしてください。
ご昼食をホテルにされる場合、午前中近くの観光スポットに出かけてお昼に戻ってくる形でも構いませんし、お昼までホテルでゆっくりされても良いかと思います。いずれにせよご利用いただいているお部屋はご出発までチェックアウトする必要はございません。通常10:00チェックアウトですがグリーンシーズンの団体様はほとんどの場合貸切ですので対応可能となっております。
———お帰り道中立ち寄り観光スポットのご案内—-
「関興寺の味噌は大切な経典を守った有難い味噌
ましてやその味噌の中に600巻もの経典が埋められたならば
さぞかし関興寺の味噌には経典のご利益・功徳があるに違いない」
とその味噌を分けて下さいと関興寺に参拝する者があとを絶ちませんでした。
以来、「人々の間でこの味噌をいただくものは
大般若経典のご利益にあずかり福徳が授かることができる」
と世の人々に言いはやされるようになり
「関興寺に参拝したならば、お味噌を頂かなければ何のためにお参りしたか甲斐がない」
「関興寺にお参りして有難い味噌を頂きましたか?」の問いかけの言葉として
「関興寺の味噌なめたか」
の言葉が後世の人々に言い伝えられるようになりました。


日本の宿場町10選に選ばれている「塩沢宿」と通称牧之通りとは、つむぎ産業の盛んな旧塩沢町で商売をしていた鈴木牧之という人物にちなんで名づけられました。
鈴木牧之とは江戸時代に出版した「北越雪譜」の著者であり、雪国の暮らしぶりを書いたもので当時のベストセラーとなり、ゆくゆくは川端康成の「雪国」を書くうえでも参考にされたという。
牧之通りの駐車場前には「鈴木牧之記念館」があり、ここでも当時の暮らしぶりや牧之について色々と学ぶことができます。


江戸時代の街並みを再現しつつ電柱・電線を地下に埋めたり近代建築も活かしとても美しい通りとなっております。


八海山のそもそものいわれは、中臣鎌足公が御神託を頂いて御室(おむろ・現六合目)に祠をもうけたのが始まりと伝えられております。八海山には投行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)、続いて弘法大師が頂上で密法修行されたという事蹟譚があり、古くから両部の霊場として、山麓周辺の修験宗寺院を中心に八海山信仰が展開されてきました。八海山信仰の歴史上の初見は、南北朝中期に編纂された『神道集』に越後の三の宮・八海大明神とあり、御祭神を元気水徳・国狭槌尊として、霊験あらたかなること、つとに近県にまで及んでいました。しかしながら時代は遥か降り近世の中期に至るまで八海山は鳴りを潜めるように、その霊威を峻険な山嶺の奥深く胎動させていました。
しかして寛政六年、木曽の御嶽山の大滝口を開いた、かの普寛上人が大神の夢告に導かれて来越し、当村の泰賢(たいけん)行者を随いて八海山登拝道を開くに及び、御嶽山の兄弟山として列格し、次第に全国にその名が知られるようになり、県境を超えて各地の講集団が訪れるようになりました。大崎口登山道は開山の偉業により一躍輿望を担うに至った泰賢行者自ら、地元大崎村の御嶽講を率いて享和三年(一八〇三年)に切り開いたもので、これが大崎口里宮(現八海山尊神社)を世に知らしめた始まりです。その後、泰賢行者は大崎口里宮を拠点に諸国を行脚し、八海山信仰の布教に身を棒げました。
こうして八海山尊神社は、八海山信仰の霊場として、その信仰は親から子、子から孫へと代々引き継がれて、今日に至っております。


お疲れさまでした。途中休憩など入れながら地元までお送りいたします。
お帰りの途中立ち寄りスポットにもよりますが、地元到着を15:00~17:00頃を目安に運行いたします。もちろん幹事様をはじめ皆様のご意見を伺いながら安全に地元までご一緒させていただきます。
集合場所に着かれましても、旅は家の敷居を跨ぐまでと言います。お疲れだとは思いますが最後まで気を抜かないようにご自宅までお帰りください。
西福寺「開山堂」~石川雲蝶作の天井彫刻など多数あり
1534年(天文3年)「赤城山西福寺」。本堂の隣に位置する「開山堂」内外に施された天才彫物師「石川雲蝶」の彫刻、絵画などが見どころ。
透かし彫りの繊細さと極彩色の鮮やかさで、観る人に感動を与えます。巨大な彫刻の他に、本堂の大廊下の床には、雲蝶の施した埋め木が多数残り、名匠の遊び心をうかがい知ることもできます。
日本のミケランジェロとも称される石川雲蝶が手掛けたこれらの作品は新潟県文化財に指定されています。日光東照宮にも劣らないほど素晴らしい彫刻であることから、西福寺は「越後日光開山堂」とも呼ばれています。


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